満州の原野を走っていた独立軍の母、故郷で安らぎに休む
南慈賢と地境村

南慈賢
南慈賢(ナム ジャヒョン)夫人は、南廷漢(ナム ジョンハン)先生の次女として1872年(高宗9年)石保面地境洞で生まれた。夫は義兵を支援して、倭賊と戦って壮烈な戦死を遂げた。妻は彼の志を継いで3・1運動に参加することを皮切りに、満州に亡命して独立軍の母となった。
彼女の夫が金炳周で、彼の妻が南慈賢である。地境村は、南慈賢の魂がこもった故郷だ。女性独立活動家である南慈賢志士は、女性運動の先駆者として3・1運動に参加した以降、遺児を連れて満州に入り、在満朝鮮女子教育会を設立して女性啓発運動にも先頭に立った。
また、各地に散らばっていた独立運動団体の統合に努力して要人の暗殺、独立闘士の釈放運動、国際社会に独立を訴えるなど、一生を独立運動に専念したがハルビンで逮捕され、ひどい拷問の末に死地をさまよい出所したが殉国した。1962年大韓民国政府は、建国勲章大統領賞を死後に授与して、南慈賢志士の崇高な精神を記念した。英陽郡は1999年に生家を復元してたたえている。