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鶴髮帖

鶴髮帖

横25.5㎝x縦44㎝。10歳前後に書いたという鶴髪詩が親筆草書で書かれている18世紀末の学者であり政治家の艮翁李献慶から書き方が精妙だと評された現在木板も伝えられている。

張夫人筆帖

題名のない古詩と「示甥」という、七言律詩2編が親筆草書で書かれている。

伝家宝帖

伝家宝帖

横71.5㎝x縦62.5㎝。8面からなるが、
4、5面に祥瑞の雲と八匹の竜を刺繍したので八龍繍帖ともいう。
聖人吟と蕭蕭吟がここに入っているが、
夫の石渓李時明が直接書いて二番目の嫁朴氏が刺繍したという。
7面には敬身吟、寄児孫、稀又稀3編が筆で書かれていて、
5代孫李宇標が現在のような詩帖に整えた。
18世紀末、南人系列学者の李獻慶と睦萬中がこれを賛嘆して書いた跋文が現在伝えられている。

石渓古宅

石渓古宅 石渓古宅内棟,石渓古宅大門棟,石渓古宅客間.指定別:慶尚北道民俗資料第91号,所在地:栄養石保面院里里308番地, 指定日:1990年8月7日,建立年代:17世紀中葉建立

朝鮮仁祖、顕宗の時の学者である石渓李時明(1590~1674)の古宅である。
盈徳郡蒼水面で出生した石渓李時明先生は、早くから生員になり、まもなく立身出世の意志を捨て、一生を学問研究に捧げることを誓い、1640年(仁祖18年)英陽郡石保面に引っ越し、石渓の上に家を建てて石渓と自ら称した。また、彼の夫人貞夫人張氏も孝行、婦徳、学問、芸術などをまんべんなく備え、申師任堂に次ぐ人物と知られている。

この家屋は石渓先生夫婦が石保に住んでいたときの家で、石渓先生は安東で死去したが、貞夫人張氏は死去する時までここに住んでいたという。古宅は4間規模の一文字形の切り妻造りの瓦葺きの舎廊棟と5間規模の一文字形の切り妻造りの瓦葺きの母屋が二の字形に配置されているが、前面には最近新築した3間規模の平大門を設け、周囲には土石塀を設けて物足りなさをなくした中庭のある家のような感じに構成したのが特徴である。

石川書堂

石川書堂 石川書堂 全景,右側面,廚舍, 指定別:慶尚北道文化財資料第79号所在地:栄養石保面院里里318番地, 指定日:1985年8月5日, 所有者:載寧李氏石溪派宗中, 建立年代:1891年建立

1640年(仁祖18)に寧海から石保へ来た石渓李時明(1590~1674)が中台の上に敷地を定めて石渓草堂を建て14年間住んだ所である。石渓先生が20年間首陽山で隠居し、1674年安東で死去すると、1676年に喪が明けた四番目の息子恒齋先生が帰ってきて先業を受け継いだが、石渓先生が講学してきた遺跡地をそのままにしておくことができないとして、1762年に石川書堂を創建することになり、1771年8月に竣工した。

書堂はトゥドゥル山を背に傾斜した敷地に南西に向いて位置しており、正面4間、側面2間規模の入母屋造りの瓦葺きの家である。書堂庫には安陵世典、石渓先生文集、貞夫人安東張氏実記、 靜ムク齊先生文集、恒齋先生文集、ヨンチョン集など木板が所蔵されている。