
琴經淵と琴村村
早くから書堂で漢学を学び諸百家に詳しく周囲の注目を浴びた彼は、漢医学に名声を博してオクリョン岩の下の玉山書堂を建てた儒学者のアクチョン琴フイソンの6代目の孫で祖父のノアム琴ビョンギュから大きな影響を受けた。
琴經淵
- 定義:教育者、画家
- 本貫:本貫は奉化
- 生涯:1916-1948
- 活動事項:朝鮮美術展で6回入選及び特選になった。小学校の教師と中学校の教師を経て1946年に首比小学校の校長に在職中享年32歳で病死。
西洋画家、琴經淵は琴凞星の5代目の孫で首比面発理里で生まれた。韓国美術史の創成期にすい星のごとく現れて彼の特出した才能で芸術の世界にその志を大きく広げることもできないまま33歳の惜しい年齢で夭折した。彼は1930年代の鮮展で何度か入選と特選で入賞して画家としての位置を固めたが持病の肺結核で惜しくもその花を燦爛と咲かせることができなかった。しかしたとえ何点にもならないとはいえ彼が残した遺作は彼の作品世界と韓国の西洋画導入初期の画壇で目だった彼の芸術家的位置を見せてくれている。そして短い生涯だったがただ一つの道のために全身を燃え上がらせた天才的な面貌を断片的にではあるが思い起こさせてくれる。